西武鉄道岩沢貨物専用線(岩沢側線)について

>>メニューページへ

はじめに

2005/07/03 OUT

「かつて西武池袋線元加治駅から貨物専用線が伸びていた」という情報は、鉄道雑誌等で度々登場してはいるものの、その詳細については不明とされています。

2005年7月2日、この貨物専用線で貨物列車を運行した経験のある元西武鉄道機関士の方にインタビューをさせていただきました。そのインタビュー内容を元に、岩沢側線の全容を明らかにしたいと思います。

岩沢側線とは

西武池袋線元加治駅から飛矢首 ( ビャックビ ) (今でいう岩沢運動公園前辺り)までの間で運用していた貨物専用線で、川砂利や杉材を輸送していました。レールの敷設年月は明確ではないものの、大正3年頃とする説があります。昭和4年に電化され、以降は電機が貨物を運搬しました。それ以前は小型蒸気機関車が担当しました。

元加治駅付近の様子

現駿河台大学ローター付近にあたります。

元加治駅構内では、単線の本線から線路が二股に分かれますが、南側にさらにもう一本側線があり、その側線から操車場に入ります。

写真:現在の操車場跡

現駿河台大学ローター付近では4~5本のレールに分かれています。ここに貨物ホームが二面ありました。また、本線の脇にも側線があり、ここで車両を牽引制限数に合わせる作業を行っていました。牽引制限は24両とのことです。(15t貨車?)

突放は4~5本のレールのうち、本線へ繋がる最も長いもので行われ、本線脇の側線へ貨車を流しました。突放作業では赤と青の旗が合図に使われ、貨車は傾斜率6/1000のレール上を走っていきます。

なお、駅の仏子側にある側線の延長線上には車止めがあります。

終着地点の様子

岩沢運動公園前道路付近

本線のカーブ辺りでは、元加治駅員が駐留しています。今現在ある道路をそのままなぞるように曲がり、曲がった先の終着駅でレールが二本に別れます。分かれた先のレールは二本ともあまり長いものではなく、すぐに車止めになります。

北側に一つホームがあり、ここで貨車に砂利を乗せていました。ホームの東側に、砂利を運ぶために作った坂道があり、ここを馬がケツを引っ叩かれながらトロッコを引いて登って行ったそうです。

※:馬の牽引する(レール)トロッコは、砂利の需要が拡大する昭和初期に導入されたものとのこと。

現在もその坂道は存在し、自動車学校の教習車が良く通ります。

その坂の上では砂利を置く場所があり、粉砕した砂利をここからベルトゴンベアでホームに向けて落とします。

当時の名残りはコンクリート壁にみることができます。

今度はホームに落ちた砂利を石油箱に入れて貨車へ積載します。面倒くさがりは貨車に近い所の砂利を貨車に運ぶそうです。

砂利の積載作業は人力で、日払い・出来高制のため、積載量を事務(恐らく砂利部)のおねえさんがチェックをしていました。ちなみに事務のおねえさんはご健在です。

線路の延長

『阿須ふるさと散歩』(山﨑修二著/平成14年7月31日発行)の22頁に、戦時中、阿岩橋の上流にある阿須の河原までレールが敷設されていたとの記述があります。

労働者

昭和初期から戦中にかけて、岩沢に複数の外国人が居住し、砂利の積載作業に従事していました。同一人物であるかは分りませんが、彼らは八高線敷設でも労働力となっています。一緒に働いていた工事人夫曰く、「(腕っ節の強そうな彼らの間に入れられるから、)いつも追いまくられるよう」だったそうです。

ちなみに、その外国人居住者と周辺居住者とはご近所付き合いが良好だったとのことです。

資料

多分、該当する土地の資料だと思います。

資料3 砂礫採取願
 入間川筋 入間郡加治村大字岩沢字中河原地内
一、民有地 砂礫  但採取区域其他ハ別紙図面ノ通リ
      此代金 但立坪ニ付金弐拾銭也
 採取期間 許可ノ日ヨリ
右は販賣ノ用ニ供シ度就テハ大正二年四月埼玉県令第二十三号河川生産物採取規程ヲ遵守
可仕候間御許可相成度別紙図面採取方法書相ヘ出願候也
  入間郡飯能町大字飯能八拾番地 小川善次郎 (印)
  埼玉県知事 岡田忠彦殿
飯能市史編集委員会編、『飯能市史 資料編X (産業)』、昭和60年3月20日、309頁.
資料4 河川敷地占用願
 入間川筋 入間郡加治村大字岩沢字飛矢首地内
一、河川敷面積 三拾弐坪 但長拾六間巾弐間此壱ヶ年占用料金参円弐拾銭但壱坪ニ付金拾銭
 用途 玉砂利運搬ノタメ
 期間 自大正七年四月至大正拾弐年参月五ヵ年間右ハ玉砂利運搬ニ付橋梁架設ノ為メ占
用仕度候に就テハ河川法並ニ大正弐年四月埼玉県令第二十二号河川敷地及流水並ニ附属物
占用規程ヲ遵守可仕候間御許可相成度別紙占用方法書図面相添ヘ連署ヲ以テ出願候也
大正七年四月十六日 入間郡加治村大字岩沢千拾七番地
願人 西村清太郎 (印)
   岩沢茂重 (印)
   小峯亀太郎 (印)
   西村伊助 (印)
  埼玉県知事 岡田忠彦殿
同 309頁

※資料4注:「銭」←これの金部を除いた文字が見当たらないので、「銭」と表記しています。

岩沢地区の河川において、古くから川砂利の採取が行われていたことを示すものです。恐らく、かつては広大な砂利の原が広がっていたことでしょう。

参考文献

履歴:2006-01-08/加筆修正

Creative Commons License
この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。